担当を持たないという決心をしたときの話
2015年12月の頭、二階堂担、キスマイ担をやめることを決心した。
そして、今後「担当」というものを持たないことに決めた。
いまは、見たいものを見る、聴きたいものを聴く、行きたいところに行くと思って、ジャニーズのいろんなものを享受している。
とにかく楽しい。日々、ジャニーズの所属アイドルたちへの愛が大きくなっていく。
それがすごくうれしいのは、この決心をするまでがとてもとてもつらく、苦しかったからだ。
でも、まだうまく自分のなかでも整理しきれていない気持ちもある。
自分の備忘録的な意味も込めて、書き留めておこうとこのブログを書き始めたけど、キスマイのことを考えていたら、涙が止まらなくなった。
ずっと一緒にキスマイを担当してきた友人に伝えたときもそうだった。
たぶん、まだ気持ちがうまくついてきていない部分があるんだと思う。
そもそも、私はジャニオタになってからまだ2年しか経ってない。
キスマイを好きになった時期とか、仔細な部分は覚えていないが、「SNOW DOMEの約束」という曲がとにかく私にクリティカルヒットして、CDを買ったのがはじまりだった。
そこから先は転がり落ちるようで、絶対に運命だと思うほど、幸せなことばかり。
知名度もだんだん上がってきている最中で、いろんな新しいことが起こるのがそのたびに本当にうれしく、私も頑張らなきゃと勇気づけられた。
彼らの「売れたい!」というギラギラした野心的なところが好きだ。
どこがどうとかじゃなく、もう真正面から「売れたい!」っていう気持ちが伝わってくるような、にじみ出る空気をいつも感じている。それがとても好ましい。
それは担当をやめた今でも変わらない。
なぜ二階堂担当になったのかは、今でもよく覚えていないし、それは恋に落ちるみたいに突然だったきがする。
だから、担当になった後の話になるけれど、私はにかちゃんの「あざといところ」が大好きだ。
自分に求められていること、おいしいことなど、自分の見られ方、見せ方をよく理解して、スマートにこなす。
歌もダンスもアクロバットもモノマネもトークも平均値以上でできるし、かわいいもかっこいいもきれいも持っている。
もともと器用であり、努力家な部分もあるのだと思うけど、そうやっていろんなことをこなせるのは、とても「アイドル」だなと思う。
たまにファンをざわつかせるようなことを言うこともあるけど、それすら計算なのではと思わせるし、悪ガキだし皮肉な物言いはするけど、「アイドル」という仕事をしっかりこなす。
さらには、とてもグループのことを考えていて、メンバーのことを必要があればちゃんとフォローできる。
二階堂担当としては、そんなところが本当に誇らしかった。
舞祭組をやりはじめて、さらに成長していく姿には本当に頼もしい気持ちになった。
そうして1年ほどは「たかし天使!」と声高に叫びまくり、彼を、キスマイを愛でていればそれでよかった。
でも、担当として彼らを見ているうちに、どんどん周りのことが気になりだした。
たぶんいろんなことが蓄積されていたんだろうけど、私にとって決定的だったのは、ドリボでの観劇マナーの件が軽く炎上したときのことだった。
しかも、その渦中にいたのは、まぎれもなくキスマイ、さらに言えばにかちゃん。
これまでは、ファンの態度とか、いろいろと気になるところもあったけど、スルーしていたのが、メンバーのことで明確に爆発してしまった感じだった。
そのときに思ったのが、メンバーにもっと人気があるという自覚を持ってほしいということ。
売れたい!って前向きなのはいいんだけど、なんでかこう地に足がついてないまま、ぐいーっと人気でちゃった感じで、本人たちがそこに追いつけてないんじゃないかなと感じてしまった。
それは、ずっと感じていたことだったんだけど、にかちゃんはもちろん、兄組も注意すらしなかったことにすごくショックを受けてしまい、その前後くらいからレギュラーを含め、歌番組ですらまったく見れなくなった。
見るのがなぜかとてもつらくて、すごく勇気が必要で……。
その逃げ道がA.B.C-Zだったし、SMAPだったし、ジャニーズWESTだった。
(これまで録りだめしてたスマスマを毎週見るようになっていたのが、いちばんわかりやすい変化だった)
そんな気持ちのときに、キスマイのコンサートが決まり……
というブログを2015年12月の終わりに、ここまで書いて、つらくなってやめた。担当を持つことをやめて、驚くべきことにもう7ヶ月もたった。あんなにつらくて、不安でしかたなかった気持ちは、今ではもうない。
ただ、ただよかったと思う。彼らに出会えたことを、応援できている今の私がいることを、よかったと思う。DDレベルも約半年でずいぶん上がったような気がする。(実際には、それによりつらいことも増えたのも事実だけれど)
あのときとっても不安な気持ちで行った、キスマイのコンサートはとにかくすばらしかったし、わたしの好きな気持ちはなにも変わっていない、と安心した記憶がある。
一方で、わたしにとっては、「担当」という言葉が重かったのだ、と気づいた。
最初は単純に好きで、癒されて、応援して、それだけだったのが、気づいたら自担のなにもかもをチェックして、一挙手一投足を見守らなきゃいけないような気持ちになっていた。なぜか、責任を感じていた。そんなこと誰にも求められていないのに。
それで勝手につらくなって、重くなって、応援すらできなくなるなんて、本末転倒だったのだ、ということに気づくのに、ずいぶん時間がかかった。自担への裏切りだと思ったから。
あんなに一生懸命、笑顔をくれようとしてくれた人のことを、つらくて涙を流しながら追いかけていたことのほうが、よっぽど裏切りだったと思う。
「担当」という言葉にこめられた意味は、人によってまったく違う。担当を持たないということは、私は担降りしたことになるのだと思う。
だけど、私にとってのにかちゃんがこの世に舞い降りた奇跡の天使であることは、これからもずっと変わらない。キスマイが家みたいな安心感で、いつも寄り添ってくれることも変わらない。
余談だけれど、「I SCREAM」を聴いたとき、ああ彼らはもう大丈夫だと、第2フェーズに入れたのだと思って、とんでもなく嬉しくなった。何様だよって感じだけど、ほんとうにほんとうに嬉しかった。着実に前に進んできた、その足跡が見えたような気がした。
そして、「Re:」を聴いたときに確信した。
わたしは彼らが大好きだ。
彼らを起点に出会うことができた、ジャニーズのアイドルたちが大好きなのだ。
彼らが、いろんな苦悩や葛藤を乗り越えて、今もアイドルを続けるという選択をした、というその事実だけで、こんなにも尊い。願わくば、幸せで笑っていてほしい、つらいことなんてないように。
そう願うかぎり、わたしは現場に足を運び、音源を購入しつづけるんだろう。